指揮者の井﨑氏の話によると、来日公演の話が持ち上がったのは氏が音楽総監督に就任後、新たな所属事務所として㈱コンサート・イマジンのアーティスト契約を結んだ時のとのこと。事務所社長から「ぜひ凱旋公演を!」との申し出に加えて、折しも2009年ハンガリーフェスティバルが開催されることになり両国の間でフェスティバル内容が吟味されている最中で、ハンガリー政府・文部教育省や日本側ハンガリー友好協会でも公演開催を支援する気運が高まりました。今からちょうど2年半前のことです。それまで“ソルノク交響楽団”と呼んでいた日本での呼称も、ハンガリーのソルノク市であることを日本の皆さんに強調するために「ソルノク市立交響楽団」と呼ぶようになったのもこの頃です。

しかし突然広がった世界的な金融危機は大きな影を落とすことになりました。ハンガリーはEU=ヨーロッパ連合に加盟していながら、世界銀行、国際通貨基金そしてEUからの多大な資金融資を要請したため国内では切迫した緊急経済対策を強いられることになり、また国外にそのニュースが大々的に報じられたためにハンガリー国の経済破綻、そしてソルノク市立響の来日公演が多いに危ぶまれていたのは皆さんの記憶にも新しいことかと思います。

が、結局当初の予定通り公演は開催されることになりました。ソルノク市立交響楽団という単体のオーケストラによるプロジェクトではなく、ソルノク市そしてハンガリー政府が公式に支援していたこと、日本のフェスティバル側がこの公式行事の目玉としてこのオーケストラ公演に期待していたこと、そして長年交流のあった山形県遊佐町や酒田市の全面的な招聘支援があったこと、そして何よりこうして後援会の皆さんによる実施への強い要望があったために他なりません。経済危機以降、ハンガリー政府はほぼ全ての国際交流や文化支援の特別予算を凍結しているそうですが、ブダペストでなくソルノクという一地方都市が公演実現に向け努力を重ねていたことを評価してこのプロジェクトのみに資金助成を行ったそうです。招聘業務から手を引きかけたイマジン社も、ハンガリー友好協会や山形各地の実行委員会、そして東京の実行委員会の要請を受けて引き続きマネージメントを続けることになりました。“一つの大きなプロジェクトを遂行するには組織的な大きな力が必要だが、それを支える人たちのひとりひとりの手による支援や協力こそが最後には大きくものを言う”と井﨑氏は語っています。今回の演奏会(演奏旅行)が無事開催されるまでに氏の中でも大きな葛藤があったそうですが、後援会としてサポートに大きな感謝をしていると語っておられました。